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【天河大辨財天社に学ぶこれからのブランディングの本質①】日本の精神文化の中心地・吉野、熊野、高野を結ぶ三角形の中心にある秘境

本記事はこんな3人と共に考えるために書きました。

  • 吉野・熊野・高野と日本の精神文化の中心地にある天河大辨財天社の文化資本について考えたい方
  • 経済成長に偏った成長目標を持つことに疑問を持つが、それに代わる成長目標の立て方の見当もつかない方
  • 世界の流れが西洋から東洋にシフトする中で、ビジネスに日本ブランドをどう活かしていくか模索している方

本日は文化の日。

11月になっても全国的に強い日差しの夏日になったり、と思ったら急に気温が下がって秋らしくなったり。

不安定な気候が続く中、気候変動の脅威を感じざるを得ない今日この頃。

気象庁の過去の平均気温の月平均値を見てみるとこんな表がありました。

上記は東京都の記録ではあるものの、それ以外の地域でも年々、異常に暑くなってきたのを感じられていると思います。とりわけ、ここ1、2年の平均気温はほとんどの月で1〜2℃高くあり、さらに拍車がかかってきた気もします。

そんな中、標高441m~820mくらいのところに位置し、平地よりも気温が2度ほど低いところにある奈良県は吉野郡の秘境・天川村に行って参りました。

気温推移の記録がここ1〜2年で2度弱高いことから、天川村が気温が2度ほど低いので平地に住む人が例年感じるであろう本来の涼しさと同じくらいとも言えるのでしょうが、筆者は10月の中頃の早朝から行きましたがその日は気温が9℃くらいでした。

さて、気候の話はここではいったん置いておきます。

天川村に訪れたメインの理由は、筆者が数ある神社の中でも最も惹かれる場所のひとつ、天河大辨財天社に訪れたかったからです。(あとは、天河弁財天社から車で10分ほどのところにあるみたらい渓谷の撮影をしてピストン日帰りプランでした)

天河大辨財天社とは

天川村は紀伊半島中部に位置し、近畿最高峰の八経ヶ岳(1,915m)をはじめとした大峰山系の山々に囲まれており、自然美あふれる秘境の地でもあり、吉野熊野国立公園に指定されています。天河大辨財天社はその天川村にあり、日本三大弁財天の宗家として、水神・弁財天(サラスヴァティ)が祀られています。

秘境に位置する霊場であることから、ネット界隈では「神様に呼ばれないとたどり着けない神社」とも云われていますが、私は今まで幾度かこちらに足を運んだことはあるものの神様に呼ばれたことは一度もありませんwww

それから弁天様がご祭神であるため、芸能、音楽の神、それから財運の神という言われ方もします。誰が言ったか多少、仰々しい云われ方にも聞こえますが、実際は車道も整備されていますし行こうと思えば誰でも行けます。それから、ここに訪れたからといって、芸が身につくわけでも、それから大金が流れ込んでくるかというと、それは分かりませんw

地理上も日本の大霊場の吉野・高野・熊野の三角形を結ぶ中心地、それから世界第一級の大断層・中央構造線上に位置し”ゼロ磁場(磁氣のN極とS極がお互い拮抗して打ち消しあい、磁力が存在しない状態)”とも云われ、スピリチュアル界隈でも特別な場所だったりしますが、確かにここに居るととてもそれが何かは分かりませんが、他の神社では得られないような独特の心地のいい感覚はします。

実際、古い歴史においては修験道の開祖・役行者を始め、空海、それから親鸞、日蓮といった日本思想を語るに欠かせない方々がこの地に惹かれ、瞑想修行の場として選んだ環境でもあります。

芸術の分野では、能の大成者である世阿弥も使用した能面「阿古父尉あこぶじょう」は、後南朝初期は永享二年(1430)に、観世三代の嫡男観世十郎元雅が当時将軍義教から仙洞御所での演能を差し止められ、以後次々の将軍に疎んぜられるといった苦境の時代に心中に期することを願って能「唐船」を奉納し尉の面を寄進されたということです。

また、現代では、故・坂本龍一さん、細野晴臣さん、松任谷由実さん、喜多郎さん、ブライアン・イーノなどがこの地を訪れています。

そして、令和四年、熊本で開催された第4回アジア・太平洋水サミットにおける天皇陛下記念講演において、”アジア・太平洋を繋ぐ水の信仰 -(1)蛇神(ナーガ)の旅-”の章で八経ヶ岳・弥山にある天河弁財天の奥宮のことに陛下が触れられていましたが、天河弁財天の歴史を踏まえ、なぜ今のタイミングで陛下がこのテーマに触れられたか、ということに想いを馳せてみるのもいいかもしれません。

先賢たちも惹かれた天河大辨財天社の魅力をブランディングの本質を学ぶ

そんなミステリアスな魅力のある天河大弁財天社でもありますが、この記事では学術、芸能、それからスピリチュアル的な専門的な視点というよりは少し俗っぽく、今の時代のブランディングに活かせないか?という観点から、畏れ多くも学べることはないか?と思って考察することにしました。

ということで、まず、そもそも、ブランディングの定義とは何でしょうか?

ブランディング〔原義は「焼き印を入れること」の意〕

経営・販売上の戦略として,ブランドの構築や管理を行うこと。会社・商品・サービスなどについて,他と明確に差別化できる個性(イメージ・信頼感・高級感など)をつくりあげる。

大辞林4.0

それから、AI先生に聞いてみましたら次のように出てきました。

ブランディングとは、企業や商品、サービスが持つ価値や特徴を顧客に伝え、他と差別化するための戦略的活動を指します。これには、ロゴやカラー、スローガン、コンテンツ、顧客体験などを通じて、消費者がそのブランドをどのように感じ、認識するかを意図的に構築・管理することが含まれます。

ブランディングの目的は、消費者にとってのブランドの信頼性や魅力を高め、長期的な関係を築くことです。成功したブランディングにより、顧客はそのブランドに対して感情的なつながりを持ち、リピート購入や推薦に繋がることが期待されます。

ChatGPT

うーん、ちょっと小難しいですね。

商品やサービスが長く人々に愛されて続けられるための諸々の創意工夫、とでもしておきましょうか。

天河大辨財天社の朝の風景(朝日、清め、祈り)

さて、ブランディングを念頭に論より証拠、まずは天河大辨財天社の朝の風景を収めた動画でも楽しんでください。

天河大辨財天社のブランドは歴史やこの地に惹かれて訪れた天皇や先賢、現代の著名なアーティストが大いに引き立ててくれていますし、この地を愛し、守られてきた人々が、あるいは今もこの地を訪れる人々が証明していますので、このあたりの詳細はこれ以上突っ込みません。(代わりに以下の天河大辨財天社の公式サイトをご紹介しておきます)

撮影したこの日はというと、朝は山奥ですので道中も含め濃い霧が立ちこめていましたが、日が昇り差すころには涼しい秋晴れとなり、ただでさえ神々しい境内を朝日が照らし、その尊い美しさを表現する言葉が見当たらないほどです。また、朝は宮司さん始め神職さんたちが皆で境内を掃き清め、準備が整うと朝拝といって宮司様が毎日休むことなく祝詞の祈祷や真言、般若心経などが奏上されたりしています。筆者は、自然美に囲まれた境内や神殿も然りですが、これらを維持するために長い歴史において一日も途絶えることなく続けられてきた儀式やこの神聖さを守る役割を担う神職さんたちの態度や習慣は、ひとつひとつは非常にシンプルなことながらこの地を訪れる参詣者にとっての理想的な模範にもなっており、それがあるからこそ人々に愛され、尊崇されてきた理由だと感じました。

古くから多くの人々によって守られてきた天河大辨財天社の世界観には、現代のブランディングにも通じる普遍的で本質的なヒントが無尽蔵につまっていそうです。

ブランドを支える文化資本

神様に呼ばれないとたどり着けない地といわれる由縁

天河弁財天という精神修行の場において、いわゆる資本主義経営の用語によく使われるブランディングという言葉を用いて物事を考えるのは違和感をもたれる方もいらっしゃるかと考えられます。確かに、資本主義における資本を経済資本の観点だけで考えて用いると不適切だと思いますが、本記事では資本は何も経済的なものだけを限定して指していません。

フランスの社会学者であったピエール・ブルデューは主著「ディスタンクシオン」において資本の意味を経済資本だけではなく、社会資本や文化資本という概念にまで拡張したことでことで知られています。

この聖地にはグローバル企業のように莫大な経済的資本があるわけではないし、必要でもありませんが、吉野・熊野・高野を結ぶ中心地として天皇や賢者、アーティストなど、日本文化の柱となる人物たちを引き寄せた求心力があるわけで、社会資本、文化資本というものが大いに影響しているともいえるのではないでしょうか。

私なりにざっくりと”ディスタンクシオン”はどういう著書かというのが許されるならば、「私たちの趣味とか嗜好とかいった個人的な領域、つまり自分が好きで選んでいるということでも実は社会構造によって傾向づけられているということをブルデューの長年の調査と研究で明らかにしたもの」と解釈していますが、前述したとおり、古来、先賢たちも惹かれたこの地でありますから、先賢たちがインスピレーションを得たこの地に訪れるということは、先賢達が見た風景を追体験するということであり、彼らが残した叡智と目線が合ってくると人生や仕事におけるライフステージもまた爪の垢を煎じて飲むようにではありますが、その境地に徐々に近づいていくのではないかと仮説を立てることもできます。

確かに、今は道が整備されて行きやすくなったとは思いますが、太古の昔は歩いて荷物を持って山を越え、谷を越えてしないとここまでたどり着けなかったわけですし、だからこそここにたどり着いた人の喜びは一入だとも思えますし、実際にこの地の静謐な空気感に触れることによってある種のインスピレーションを得たことも間違いないでしょう。これらのことが相まって参詣者たちがそれぞれに”神様に呼ばれるようになるという肌感覚”を体験し、”一人歩きして神様に呼ばれないとたどり着けない”なんて大げさな言い方をする人が出てきたのかもしれません。

ブルデューの唱えた文化資本、ハビトゥスとは

文化資本

ブルデューの用語。再生産される文化的所産の総称。言葉づかいや行動様式など身体化されたもの、絵画や書物など物として客体化されたもの、学歴や資格として制度化されたものの三つの形態をもつ。経済資本に対していう。

大辞林4.0

ブルデューの著書”ディスタンクシオン”は本人が「わざと難しく書いている」と言っていたくらい非常に難解なため、本記事でも大いに参考にさせていただいております我まずは非常にとっつきやすい解説としてNHK 100分de名著で取り上げられた社会学者で立命館大学大学院教授・岸政彦氏の回「ブルデュー/ディスタンクシオン」をご紹介しておきます。

身近な例でいいますと子が親のやっている仕事と同じ、あるいは同じような仕事に就くということはよくあることです。また、趣味嗜好が似ている人同士がカップルになるということも珍しい話ではありません。となりますと、両親やその家系などで継承されている文化(学歴や職業、趣味など含め)というのは、引き継がれやすいというのもあながち否定できません。少なくとも傾向があるとは言えるでしょう。ブルデューの言い方をしますと文化的特性というものは再生産される、ということでしょうか。

また、ブルデューは文化的特性を形成する態度や習慣のことをハビトゥス(Habitus)という概念で述べていますが、これも重要なので辞書で調べておきます。

ハビトゥス(habitus) 習慣・態度の意

人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。

大辞林4.0

私も好きな言葉ではありませんが「親ガチャ」という言葉が2021年流行語になり物議を醸し出したのは、社会階級と趣味、あるいは習慣や態度というものは結びついていて、家庭環境やそれまでの教育環境などの影響によって本人の努力云々以前に同じHabitusが再生産されるということを露骨に言い表しているだけとも言えます。ブルデューはあくまでそれを調査と研究による膨大なデータでそれを学説として証明したのです。

確かに「高級文化」を嗜好するハビトゥスも、家庭の中で小さいときから自然と身についたいわゆる上流階級のものと学校で教えられて自ら努力して身につけた中間層のものでは違う。つまり、上流階級で生まれ育ってアタリマエの「嗜み」としてほぼ先天的に高級文化に触れてきた人と、上流ではない人間が後天的に努力をして身につけたものでは自然さが違うと感じられたことがある方も多いのではないでしょうか。

このあたりでもとい、本記事は階級差別の話をしたいのではありません。

何がいいたいかに戻りますと、下図をご覧ください。

文化資本、社会資本、経済資本

 

ブルデューの文化的特性が再生産されるという見地に立ったならば、私たちが普段従事している仕事からライフスタイルに至るまで誰かの因果、きっかけでできていて、その土台には生まれ育った環境における文化資本や社会資本といった土台に乗っかることでできており、結果として貨幣中心の社会において私たちは経済資本をマネタイズして生活の便宜を図ることができているというのが今も昔も変わらない現実であることは間違いありません。

しかし、経済成長一辺倒の資本主義が生み出した負の外部効果などが誰の目に見ても明らかになってきた近年において、通帳に記載されるデータとしてのお金そのものの価値が相対的に下がってきており、社会資本や文化資本などお金を生み出す源泉の方に注目が集まってくるようになったも事実。

そのことを前提とするならばこれまでやはり、この経済至上主義といわれる今の時代においては経済指標偏重で物事を見るのではなく、ブルデューが資本の概念を経済だけではなく社会資本、文化資本と拡張したように、国家や企業という大きな単位だけではなく私たち個人の単位でも、資本主義をより多次元的に解釈して新しい成長目標を持つ必要があるのでなないでしょうか。

例えば、文化財の保護などを管轄する文化庁の予算は年1,000億円ほどで20年以上横ばいといわれており、令和6年度の国家予算が112兆円とすると全体の0.1%ほど。

あるいは、近年、映画/アニメ/ゲームと日本のエンタメが大当たり年になっていますが、これらも象徴的なものこそ前面に出ていないにしても土台には日本の文化や美意識というものがあり、それが言語や文化の違う海外の人々の情緒にも伝わっているからと言えます。

こういう事実をそれぞれどう感じるか?というのは大切なことではないでしょうか。

パート②「企業価値もとっくに有形資産より無形資産が重視される時代に」に続く(11月6日現在執筆中)

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