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MIND&BODY

身体化された文化資本

正月が明けて、仕事を始められた方も多くいらっしゃると思います。

私はと言うと、このころになると新年立てた目標も忘れ始めます(笑)

毎年、同じパターンなので、目標にもいい目標と悪い目標、つまり自分にとっての身になるものとならないもの、あるいは、ハッピーになるものとそうでないものも見えてきます。

最終的には理に適ったものであれば、それほど何か浮力でもはたらいているかのように達成したこともありますし、逆に、いくらもがくように自分で努力をしていてもずっと底にいたまま、ということもあります。

前者ならば、到底自分の力でないことは自覚していれば、何か見えない力に対してのありがたい気持ちにもなれます。しかし、後者だとどれだけ頑張っても報われないことへの社会構造への怒りや自分の無力さへの劣等感だけが芽生えてきて、結果としてそのエネルギーが人や世間への呪い、ルサンチマンとして変身し、さらに他の誰かの、あるいは何らかの大きな力にとって都合のいいように利用、搾取され、かえって自分を蝕むことにもなりかねない、ということも見えてきます。

前途有望な、あるいは血気盛んな若いころにありがちなのがカネ、つまりフランスの社会学者、ピエール・ブルデューが提唱したといわれる資本の三形態における1つめ経済資本、それから2つめの人脈やコネといった社会関係資本といったものを増やしたり、加えたりすることばかりに盲目的に奔走しがちです。

いや、もちろん、これは若さに限ったことでもありませんが、いい年になると”そういうこと”に気づかないと恥ずかしくもなってきたりして、目が覚めてくるのは年の功と言えるかも知れません。

そうやって経済資本や社会関係資本などの目に見える資本というのものは、実は目に見えない資本がベースによって成り立っているということが見えてきて、大切にしようということが分かってきます。

それは何かといえば、資本の三形態の3つめ、文化資本ですね。

文化資本は、さらに客体化されたもの(今でいえばコンテンツ)、制度化されたもの(学歴や資格、受賞歴など)、そして身体化されたもの(立ち居振る舞いなど身体に染みついたもの)。

とりわけ、身体化されたものはこの中で一番目に見えないものなので、でも、この身体化されたものは、やんわりいうといわゆるその人のライフステージを物語るものになり、同じ仕事をするにしても立ち位置を変えてしまう主要な要素になってしまうのです。

「腐っても鯛」

という言葉がありますが、これは、今なにかしれの要因で社会的には落ちぶれていても身体化された文化資本が落ちぶれていなければ必ず、鯛として生きることができる喩えといえるかもしれません。

昔は、”腐ったら死体やんけ”、としか思えなかったですけれども。

だからこそこれをブッダは、

生まれによって賤しい人となるのではない。

生まれによってバラモンとなるのではない。

行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

「ブッダのことば」スッタニパータ 中村元 訳 岩波文庫

といったり、日本の禅の元祖禅マスターといわれる道元禅師であれば、”威儀即仏法”という表現になったりしているのも、文化資本の中でも身体化されたものの重要性を説いていたのかも知れません。

そういう意味で、より身体化された文化資本が積み上がるような指針を打ち立てるというのは、人の永遠のテーマであって、結局それを無視した目標はというと文字通り、”身にならない”ということが肚落ちして分かってきた今日この頃です。

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