East meets West,West meets East.

NEW POST

BUSSINESS

資本主義の再解釈、統合コンセプトとしての”文化資本”の時代

みなさま、明けましておめでとうございます。

2024年は十干十二支における甲辰きのえたつの年といわれ、十干の甲はというと物事の始まりを表していますから、時代は辰のようにうねりながら新しいことがどんどん始まっていきそうです。

2007年のiPhoneの発表、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などによって人々の価値観も大きく変わっていきましたが、これまでの経済成長至上主義ともいわれる資本主義の脆弱性やそれが与えた負の外部効果が目立つようになっていきましたし、今となってはそれが誰の目に見ても違和感として顕著になってきたといっても過言ではないでしょう。

昨年は”地球沸騰化”が流行語にもなりましたが、やはり、その要因として地球の環境破壊という共通認識のもと、やり玉として資本主義が生み出した負の外部効果によるものとされており、SDGsなど世界各国でこれまでの経済至上主義が見直される新たな取組がなされております。(たとえ表面的だとしても)

確かに地球の気候変動は事実として認識していますが、それがCO2の問題、あるいはポールシフトみたいな話まで緒論あるかと思いますが、どれも反論もあったりで簡単に片づく話ではないと考えてはいますが、そこはそれ以上に詳しく触れないでおき、筆を進めます。

今世界中で起こっている天変地異、戦争、感染症、差別と格差、などの要因はさておき、資本主義において、経済至上一辺倒であったこれまでの時代のうねりが見直されることはとてもいいことだと思っているからです。

そもそも、”資本”と言う言葉を広辞苑で調べますと

①もとで。もときん。事業の成立・保持に要する基金。営業の資金。
②(capital)生産の三要素(土地・資本・労働)の一つ。新たな営利のために使用する過去の労働の生産物。また、マルクス経済学において自己増殖する価値の運動体のこと。

広辞苑 第七版

と出てきました。

で、この資本を表す”capital”と言う英語もついでに調べてみました。

1首都, 首府(capital city); (産業などの)中心都市; 〚形容詞的に〛首都の
2〚具体例ではa ~〛資本(金); 元金, 元手、資産; (一般に)資源
3大文字, 頭文字
4〘経〙資本家階級[側]
5〘経〙純資産.
6〘建〙柱頭.

1〚の前で〛大文字の, 頭文字の
2〚の前で〛死刑に値する〈犯罪など〉; 致命的な〈失敗など〉
3英・やや古すばらしい; 〚間投詞的に〛すごいぞ.
4主要な
5資本の; 元金の

ウィズダム 英和辞典 第四版

資本といえば私たちは一般に最初にイメージできるのは、カネ、あるいはすぐにカネに変わるもの、土地や不動産などをイメージします。

しかし、こうやって改めて調べてみると、capitalの英訳においてもわかるように、単にカネにまつわるものだけを指すのではないようです。しかし、その意味も曖昧に、私たちの多くは明治維新以降、欧米列国に倣って取りいれた資本主義(capitalism)の言葉の意味を経済の側面からしか見てこれていなかったのかもしれない、ということに気づかされます。

そこが、言葉(概念)って、謙虚に調べないといけないなと思わされるところです。

ここで、フランスの社会学者でありディスタンクションなどの主著で知られるピエール・ブルデューの説いた資本の三形態を引っ張り出したいと思います。

この彼の主張によると資本は経済資本、社会関係資本、そして文化資本という3つに区分されます。

また、それら三形態の資本がそれぞれ統合されて象徴資本として構成され、企業資本であったり、国家資本であったりが形成されている、ということを論じています。

ちょっと分かりにくいでもうちょっと平たくいいますと、経済資本はカネやすぐにカネに変わるものでいいでしょう。

それから社会関係資本というのは、”人々の間の信頼関係や、地域社会におけるつながりのこと。生産性の向上や経済発展に寄与するとされることからいう/広辞苑”。

文化資本はブルデューの用語で、言葉遣い・振舞い方・知識・学歴・資格など、個人が身につけていく文化的な特性”で上流階級の人が獲得しやすいと言われています。

この文化資本はさらに3つに区分され、制度化されたもの、客体化されたもの、身体化されたもの、、として分類されます。

彼のいう資本の概念も取りいれて資本主義を再考すると、経済至上主義は資本主義の中の一要素ではあるものの、広義の意味で資本を捉えられていない、ということも考えられます。

同時に、資本の枠を広げられますので、これまで当たり前として認識されていてあまり強調されてこなかった社会関係の資本、文化資本についても、経済と同じ比重で考えられるようになるかと思います。

これは、アンチ経済至上主義でもなければ、ポスト資本主義でもなく、ただ単に、これまでは単体でしか機能しなかったものが、統合されて本格的に機能できるようになるということでもあります。

例えば、2007年iPhoneが携帯電話、インターネット端末、メディアプレイヤーの3つの機能を一緒にして新しいデバイスとして誕生したように、資本主義もそれぞれの形態がバラバラで存在していたものが、新しい時代になって統合コンセプトとして新たに誕生していて、これからは認知、普及が進んでいくのではないかと思っています。

ですから、世間では資本主義の時代が終わったのでそれに変わるものは?と目新しいものを遠くに探しに出かけるのは少々粗っぽすぎるというか、目の前に答えが落ちているのにジプシーを繰り替えす羽目にもなるかもしれませんね。

何もブルデューの主張にそのまま従え、というのではもちろんありませんが、そう考えていかないと、環境問題や貧困や差別などの人類普遍の根本命題にピリオドを打つことができないし、そういった大義名分がないといつまでも多くの人類を方向づけ続けることはできません。

さて、その大義名分というのは、時代によって変わるもので、科学革命が起こるまでは西洋では神が唯一神であり、絶対的な権威であり、それが人々を方向づけるものでした。

その西洋が起点となって宗教革命、科学革命、産業革命が起こり、やがて科学が神に成り変わるように資本主義の構造が生まれていきます。

資本主義が生んだ物質文明は確かに世の利便性は向上させ、私たちに豊かさをもたらしてのは事実であるものの、その恩恵を享受できているのは人類の中ではごくわずか、あるいは生み出した富のコスト以上に負の外部効果を生み出している経済至上主義そのものは恩恵でも何でもないのではないか、むしろ、戦争も人種差別も未だになくなっていないことも考えるとこれまでの宗教も科学もそれでも人類はなにひとつ根本命題をなにひとつ解決できていないじゃないか?ユヴァル・ノア・ハラリ氏のサピセンス全史であらためて紹介された”虚構”の一種ではないか、というところがで足踏み、つまり、今や人類は文明の過渡期にあるとが認識も何も荒唐無稽な議題ではなく、時代の常識となりつつあります。

こういう考え方が常識になりつつあるのも、これまでは暗黙知であったものが今や客体化されたコンテンツになった現代の人類の文化資本のようなものかもしれません。

実際に、企業などでもエコの観点からさまざまな取組もされていて、例えば私の場合、スタバでコーヒーをマイタンブラー持参をするのもルーティン化していますが、これも、何ら不思議な行為ではなく習慣化されています。(ブルデューでいうところのHabitusのひとつなのかも)

まぁ、日本では古くから、「売り手よし、買い手よし、世間よし」といって近江商人の三方よしの経営というのがありますが、これは資本の三形態からしても理に適っているように思えるというか、今更感を感じざるを得ないところもありますね。

さて、冒頭に甲辰の年は始まりの年とも触れましたが、昨今の環境問題や国際情勢を鑑みても、こういうことをいうとユートピア思想で片付けられたものであったとしても、危機を眼前に私たちは、過去の歴史の過ちに学び、本来的に平和という礎のもと母なる地球と一切の生き生きとし生けるものと調和の中でいきていくための新たな虚構、いや、虚構で終わらせない文化資本の形成を求められているフェーズに入っているともいえるのではないでしょうか。いや、入らないと諸々の大切な資本を守れない、いわゆる本末転倒の時機が来ているのではないでしょうか。

ちなみに、十二支の中で唯一想像上の生き物とされています。

私としては、仏教思想に大きな影響を受けた聖徳太子の”世間虚仮せけんこけ”という言葉にもありますが、所詮私たちの生きている世は実体など何もない、いや、実体ではない、とも捉えられますが、それでも、その虚仮にあたるものは時代の変遷と共に形を変える人々の思考のOSだと思っています。

甲辰の年は新たな虚構、虚仮の始まりの年であり、これが一切の生きとし生けるものの安穏と平和、幸福のためにより理に適ったものとして始動されていくことを祈ります。

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP