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無理

今年は、ビッグモーター始め、

それからこのもう年納めに入ろうかとしている時期にダイハツといい企業の不正問題が

顕わになって世間を賑わせています。

いずれも、その不正の背景にはどういう言葉が隠れているかというと、

「無理なノルマ」

明らかに利害が伴わない第三者が見たら道理に合わない基準、無理なノルマの運用を、当事者たちはなんかおかしいなと感じながら、あるいは決まってしまっていることだから仕方がないだろう思考停止・麻痺しながらも続けてしまう、ということですね。

ただ、これは個人でも言えることかなと思います。

極端な食事制限、無理な運動を強いるようないわゆる無理なダイエットノルマは、健康を損ねたり、故障の原因となりしますし、そもそも、疲弊・消耗するだけでしょう。

どこか無理を抱えながらでも、一時的にスリムで引き締まった身体は美しく見えたりして、周囲から賞賛されてしまうとこれが成功と思いながら続けてしまうも危うさを孕んでいます。

ボディビルダーが実は免疫力が落ちて風邪を引きやすくなったり、怪我しやすいというのは知られた話です。

結果にコミットしても、無理なノルマを強いていては、その結果を生むための母体そのものが破綻します。

これら一連の事件から鑑みるに、それが大義名分として一見、善なることだとしても、何か求める結果を達成するために無理なノルマを掲げ、それを達成するために無理強いをさせるというのは忌避され、続くペースを把握する、無理せずほどよい負荷を与えながらもペースを守る、免疫力を高め生命を守るというように、ノルマの先にある大切なことを考え直す、ということがより一般認識として高まっていくのではないかと思います。

企業という単位だけではなく、国家、個人、地球とあらゆる単位で、今、”無理なノルマ”の先にあるべきものを考える岐路に立っているのがのが今ではないでしょうか。

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