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はじめに
TBS日曜劇場、テレビドラマ「VIVANT」が好調のようだ。
半沢直樹シリーズでも知られ日本で最も視聴率をたたき出すディレクターとも言われる福澤克雄監督(福澤諭吉の玄孫でもある)、そして堺雅人、阿部寛、二階堂ふみ、役所広司、松坂桃李、とお墨付きとも言えるほどの豪華俳優陣であるが、私も時間を忘れ、ネット配信で二度見する始末なほど期待以上に楽しませてもらい、第6話終わってから、考察記事を書くことに着手した。(なお、なるべくタイムリーにしたいため編集中のままアップロードしていき、最終回を終えた後に記事を固めていくスタイルを取りたいため、内容の更新はご了承願いたい)
福澤監督と日曜劇場といえば、半沢直樹や下町ロケットなどは企業モノのイメージがあったが、今回は話が展開していく中で、土俵は企業から国家に移った国防・スパイモノなどいうことが分かってきた。
中高年層が好みそうなテーマではあるが(コア視聴率)、若者へのアプローチも成功している(個人視聴率)と言われている。TV離れの世代に刺さる番組をつくるのは至難の業の中、半沢シリーズを手がけた監督俳優陣のお家芸ともいえる一瞬たりとも見逃せないような展開もさることながら、スパイものならではの伏線と暗喩の仕掛けによって考察の余地があることも仕掛けとしてうまくかみ合っているのだろう。
話中、堺雅人氏が演じる主人公・乃木憂介がいわゆる自衛隊の非公式の秘密部隊”別班””の一員だということが明らかになっていくのだが、昨今の国際的な軍事、経済の緊張関係から「国防」への関心が高まっている中で「国際テロ組織」「公安警察」「自衛隊秘密部隊」とデリケートであり、視聴者が「たとえフィクションとはいえそこの話、TVドラマとはいえ触れてもいいの?」と思うようなタブーに肉薄していくスリルも、時代性なのかもしれない。
さらに、本年8月7日、米紙ワシントンポストにて中国軍が日本の防衛省の最も機密性の高い情報ネットワークにアクセスしていたことを報じたこともあり、番組への関心が後押しされたかもしれないが、あなたはこのニュースを見てどう感じただろうか。

国の出来事を個人として喩えるのが適切かどうか分からないが喩えるなら、友人から「ずいぶん前からだけどあなたのカード番号などのセキュリティ情報が漏れてるって人から又聞きしてるけど大丈夫?」と唐突に聞かれるようなものかもしれない。漏れていることそのものも怖いけれども、なんで友人が先に知ってるの?しかも、なんで今さら?というのも二重で怖い、もはやサスペンスホラー映画の領域である。
いずれにせよ、国、軍事という単位だけではなく、オフラインの時代とオンラインの時代では戦争の次元が違う。民間、個人のレベルにおいても民間防衛、とりわけ「防諜」ということを考えなければならない、いや、もしこの話を今から初めて意識するとしたら”時すでに遅し”というフェーズに入っている。
さて、本記事では本ドラマの展開についての考察云々というよりも、本作でもモチーフとなっている謎の組織”別班”皮切りに“スパイという特殊な仕事からこれからの仕事のあり方”を考察してみたいと思う。
ちなみに、政治、思想的にデリケートな話題になる可能性があるため、本マガジンや筆者の立ち位置もここで明記しておくが、特定の政治・宗教、及び思想に対して”非属”の立場を信念としており、もちろん本記事もプロパガンダを目的にしていない。また、軍事研究の専門家でもない浅学非才な一市民ライターがドラマVIVANから考察したことに範囲を留めるものとご了承いただきたい。
なお、本記事でご紹介できることには限界があるため、参考文献や資料、動画などはリンクを辿れるようにしている。これらには各々、特定の思想やプロパガンダを含むものと解釈されるものも否定できないことをあらかじめご理解いただいた上で、読者様の裁量に委ねて情報の精査いただくしかないことは先に述べておく。
孫子の兵法・最終第十三章「用間篇」は、情報戦・スパイの用い方
兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず。
訳)軍事は国の大事であり、死活が決まり、存亡の分かれ道である。よくよく熟慮せよ。
孫子 第一 始計篇
為政者だけではなく、経営者や組織のトップにとって必読とも言われている中国の古典・孫子。
かの三国志で乱世の奸雄として知られる・魏の曹操によって一文一言の無駄も許さず編纂、整理体系立てられた軍略の書であるが、とりわけ、最終章の第十三「用間篇」では
明主賢将のみ能く上智を以て間者と為して、必ず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。
諜報工作員としての最高の知性を有する優れた人物を使いこなすことのできる聡明な君主や有能な将軍だけが、戦争特に武力戦という大事業を確実に遂行できるのである。諜報活動は、戦争時に武力戦の要をなすものである。軍はこれによって、一つひとつの行動(作戦・用兵)を効果的に進めることができる
とあるように、軍事における最も要は情報戦、トップの間諜(スパイ)の用い方で決まりますよ、と端的に括っていることはここで確認しておきたい。
日本におけるスパイ
スパイというと、まず最初に思い浮かぶのは、おそらく007のジェームズボンドでおなじみの英国諜報部だったりするが、日本のそれはいわずもがな忍者である。
忍者研究の第一人者、中島篤巳氏(医学博士/国際忍者学会会長/健康スポーツ医/古流武術連合会名誉会長/片山流柔術宗家)の著作”忍者の兵法 三大秘伝書を読む”を参考にしながら忍者のルーツをざっくり辿ってみたい。
紀州藩の軍学者(忍者)名取三十郎正澄の「正忍記」(三大忍術書)によると、
それ忍兵の術たるや、その来ることひさし
正忍記/名取三十郎正澄
とあるが、日本の間諜は古代、大陸からの影響を示唆しているという。
また間諜の記録として最古のものとして「日本書紀(推古天皇紀)」で、
九年(西暦601年)九月戌子、新羅の間諜者・迦摩多、対馬に到れり。即ち捕らえて奉る。上野に流す
日本書紀(推古天皇紀・巻第二十二)
とあり、601年というと飛鳥時代、厩戸皇子こと聖徳太子が冠位十二階や憲法十七条などを制定する直前のころだが、当時の新羅(朝鮮半島)と大和(日本)の臨戦態勢であったころに、その新羅間諜が潜入していたことが記されている。
ちなみに、聖徳太子は使った間諜・大伴細人を「志能便」と呼んだとされている(忍術奥義伝之巻)
“日本書紀”なので、伝説の域を出ない話であり信憑性は疑わしいが、聖徳太子の生きたグローバル国家・日本の始まりである飛鳥の時代は、渡来人によって仏教を始め、建築技術、鉄製の武器、農具、工具、それから武芸、能の起源である散楽なども伝わったというが、その中に忍術のルーツになるものもあったのかもしれない。とはいえ、新しい文化を吸収するにもその土壌がなければできなかったであろうから、飛鳥の時代よりももっと前からその素養はできていたであろうと思われる。そこに渡来文化と邂逅することで体系的な技術としてよりブラッシュアップされたのだろうと想像するのは難くない。
それから中世に入るに忍術も進歩していく。
正忍記には
日本の忍びは古くよりその名在りと云えども、之を知る事は源平の頃、源九郎義経、勇士を選んで之を用ゆ
とあり、壇ノ浦で平家を討ち破り、武術の天才と言われた平安時代の源義経も忍びを使っていたという。
鎌倉時代に封建体制に組み込まれない今で言う半グレ連中であった「悪党」たちが、やがて仏教思想を取り込んで独自の組織的大義を確立し、公的機関と結びつき、「窃盗悪人」から「忍者」へと進化していったのである。
時は下り、武田信玄の軍師として知られる山本勘助や、天下分け目合戦の関ヶ原の戦い(第二次上田合戦)にて大坂の陣で豊臣方で大活躍した”日ノ本一の兵・真田幸村”こと真田信繁、それから徳川家康の伊賀忍者・服部半蔵らは忍者を用い諜報、宣伝、防諜、破壊工作を任せていた。
ちなみに、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に一番槍を入れた服部小平太、首級を取った毛利新介よりも義元の居場所を通報した梁田政綱が最も手厚く恩賞を受けたという。これは、後に天下人となった織田信長がいかに孫子・用間篇、情報戦略の重要性を理解していたのかが伺えるということでもある。
とまぁ、忍者の話はざっとこのくらいにして、詳しいことはここで参考にさせていただいた”忍者の兵法 三大秘伝書を読む”、あるいは三大忍術秘伝書である「正忍記(名取三十郎正澄)」「万川集海(藤林保武)」「忍秘伝(服部半蔵)」などの原典に迫ってみるのもいいだろう。
ドイツ皇帝をして「1人で20万人の軍」と言わしめ、日露戦争で暗躍した諜報の天才・明石元二郎は、VIVANTのルーツ?
ここからは近代、諜報活動で暗躍した日本の人物を3人ほど紹介させていただきたい。
日露戦争を描いた司馬遼太郎の代表的大作「坂の上の雲」の中では、主ロシアのバルチック艦隊を破った連合艦隊総司令官東郷平八郎元帥とその作戦参謀・秋山真之、それから真之の兄であり当時最強と言われたロシアのコサック騎兵団を討ち破った秋山好古などの華々しい活躍がそれぞれクライマックスを飾るが、作品の中で触れられるのが控えめながら、ひときわ異彩を放っていた登場人物がいる。それが帝政ロシア国内で一人で攪乱工作し成し遂げ近代日本スパイのロールモデルになった人物ともいわれる明石元二郎中佐(のちの第七代台湾総督 1864-1919)である。
彼の工作は明石工作と呼ばれるが、帝政ロシアの圧政に苦しむ支配下の国や地域の反抗勢力を扇動、支援し、ロシア国内の政情不安を画策、ロシア皇帝の足元を攪乱し内部から崩壊へと追い込み、結果として日露戦争を日本を勝利に導くことに暗躍した。、旅順攻略、奉天会戦、日本海海戦におけるバルチック艦隊の壊滅と戦略上の勝利も明石工作があってこそ日露の勝利という大目的を果たすことができなかったわけで、孫子が用間篇で間諜の重要性を説いている意義がここでもよく分かる。(日露戦争後の1917年にロシア革命が起こって帝政は滅び、社会主義国家ソビエト連邦が生まれる)
ちなみに、彼一人に与えられた工作資金は当時の国家予算が2億3千万円に対して100万円 予算比 0.4%)と言われていた。2023年時点での日本の国家予算が一般会計114兆3,800億円(うち防衛費が6兆7,800億円 予算比26.4%)といわれるから約4,500億円と言うことか?
一の働きが十を動かし千につながり、万を崩す。
小から始まる連鎖が大火を呼び込み戦局は一気に終局に向かう。漫画「キングダム」麃公(ひょうこう)/原泰久(集英社)
まさに、漫画のような話だが、”一騎当千”を地で行ったのが明石元二郎ということになる。
ドラマに歴史上の伝説にとフィクションからノンフィクションになったら、一気に話が穏やかでなくなる。一般の人に紛れ込んでいた知人が工作員、明石元二郎も味方から見たら英雄譚になったが、敵からしたらこんなに危ないヤツはいない。
東郷平八郎、松下幸之助、そして大谷翔平も影響を受けた哲人・中村天風
もう一人、日清・日露戦争のスパイとして活躍した、中村天風(1876-1968)、この人もかなり端折ってになるが紹介したい。
年齢からして一回り後の世代ではあるものの日露でバルチック艦隊を撃滅したかの東郷元帥、それから経営の神様・松下幸之助、稲盛和夫、それから最近ではメジャーリーガーの大谷翔平も影響を受けたという。亡くなって50年経った今も実業家、スポーツ選手、アーティストと私淑する人は多い。
幼少期からとんでもない”やんちゃ”だった彼は16歳で帝国陸軍の軍事密偵になる。日露の軍事密偵の時代は敵に捕らえられ死刑宣告を受ける。刑場で銃殺刑の処せられるその瞬間、仲間が手榴弾を投げたことに助けられて大けがは負うものの一命を取り留める。
日露戦争が終わり、帰国した天風はすぐに当時不治の病とされていた奔馬性の肺結核を発病、大喀血する。そこから病気を治そうと世界中の最新医学を研究する旅に出て、米国・欧州の名だたる医者、研究者、哲学者などに会いにいったが、有効な治療法とは出会えず失意のまま帰国を図ろうとしている最中、立ち寄ったエジプトのホテルでヨガの聖者・カリアッパ氏と邂逅する。その後、彼のもとでインドのカンチェンジュンガの山麓で二年半修行し、病を克服し帰国する。帰国途中、上海に立ち寄ったときに第二次辛亥革命の最中にいた孫文を「中華民国最高政務顧問」として協力。革命は失敗に終わったが、孫文から莫大な資金を得て日本に帰国。日本では東京実業貯蔵銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の頭取など実業家として活躍。それから社会的経済的な成功に飽き足らず、財産を処分して”心身統一法”の導師としての道を行く。
日露戦争では選抜された113人の工作員のうち9人しか生還できなかったといわれるほど過酷な死線を数々乗り越え、さらに帰還後、結核という病で死の淵にまで立ったお身体。当然、満身創痍、右目は全く見えず、左目はわずか0.1に近く、難聴になり、ハルピンの松花江の鉄橋爆破の爆風で下顎の歯を痛めてしまい、昭和23年にはすでに無歯顎で総入れ歯、結核で肺は半分しかなかったそうだ。
以下は彼が92歳で鬼籍に入る数年前のものも含むであろう映像資料の一部であるが、そんなことがあったとは微塵も感じさせないほどピンピンしている。
中村天風と心身統一法について知りたい方への書籍・CD/DVD
彼のことを知りうるには、やはり関連書籍はCD/DVDなどのメディア、あるいは財団法人天風会で生前、天風師より直接薫陶を受けた方々から話を聞くという手立ても残っているだろう。
ここでは、筆者独断でおすすめの書籍をご紹介しておく。心身統一法を説いた彼自身の著作はその精神方面を詳述した「研心抄」、身体面を詳述した「練身抄」そして両面のガイドライン版ともいえる「真人生の探究」、それから成功三部作などの講演録などがあるが、いささかハードルの高い金額のものもあるので、私が個人的に初心者におすすめするとしたら、以下の書籍”幸福なる人生/PHP研究所”天風哲学が精神方面、身体方面で網羅されうまく編集された天風氏の講演録がダイジェストとしても入りやすいと思われる。自己啓発としてではなく単純に健康法を知りたいという方でもいいんじゃないかと思う。
カンヌでスタンディングオベーションになった映画「ONODA」のモデルにもなった最後の旧日本兵・小野田寛郎元陸軍少尉
さて、日露戦争よりさらに時を下り、太平洋戦争の時代のスパイ。
2021年映画「ONODA」がカンヌ映画祭にてスタンディングオベーションの喝采を浴びたことが話題になったが、そのモデルとなった人物、2014年1月に亡くなられた最後の日本兵・小野田寛郎さんにスポットを当てたい。
最後の日本兵といわれる、小野田寛郎氏(1922-2014)は、日本の陸軍少尉、 特務部隊である陸軍中野学校二俣分校卒。情報将校(スパイ)として大東亜戦争に従軍しフィリピンはルバング島にて残置諜者として遊撃戦を展開、戦争終結から29年目の1974年3月フィリピン・ルバング島から日本に帰国した。むろん、一躍、時の人となったので、その時代の人で知らない人はいないが、X世代でもバブルを知らない氷河期世代以降の人は知らない、もしくはテレビの特集などで見たことがある程度かもしれない。陸軍中野学校というのは、VIVANTの別班の原型にもなった秘密諜報員養成所である。
彼が帰国したころの日本は、高度成長がちょうど終わったころである。戦争で筆舌に尽くしがたい悲惨な体験を強いられた日本が復興を遂げ豊かになったが、反面、その戦前、国威発揚・軍国主義のために使われた天皇、愛国心、八紘一宇、というような言葉や態度には敏感になっており、時に過剰なアレルギー反応を示すようになっていた。
ゆえに、小野田氏が帰国して直後はメディアも戦争の犠牲者として擁護し、世間も任務に忠実であったことを賞賛する立場を取っていたようだが、すぐに態度は一変し彼の発言や行為の一部分が切り取られ痛烈に批判、誇張、虚偽報道まで行うようにもなった。
そんな中で、日本国政府(当時の内閣総理大臣は田中角栄)は見舞金として100万円を贈呈するが、小野田は拒否する。拒否するも見舞金を渡されたので、小野田は見舞金と方々から寄せられた義援金の全てを、靖国神社に寄付した。
しかし、それも軍国主義の復活に加担する行為などとメディアで世間で言われたのに嫌気が指したのもあり、半年後の1975年、自ら友人から借りた借金500万円をもとにブラジルで牧場経営(小野田牧場)を興し、10年で大成功させた。
日本を離れた理由を語る小野田さん
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しかし、1980年浪人生が親を金属バットで殺害するという日本のニュースを見て、「祖国のために健全な若者を育成したい」と1984年から「小野田自然塾」にてキャンプやサバイバル体験を通じての人間教育に携わるようになる。

今はネットの時代、検索すれば有名人であればそれなりの情報が出てくる。さすがの時の人だっただけに、時代が近いだけに関連書籍もそれなりにあるし、この記事でここで改めて情報を網羅する必要はないだろう。
終戦60年企画「おじいちゃん本当のこと聞かせて」石原さとみと小野田寛郎の戦争と平和を巡る旅(2005年12月28日、TBS)では、御年83歳の小野田氏がインタビュー役の女優の石原さとみ(当時19歳)とともに水たまりをヒョイと飛び越え、それを横にした見た石原が「今って何かストレッチとかトレーニングとかしてるんですか?」と伺う。小野田氏は「いや、何もしてません。時間があったら寝てます」とにこやかに返答。
普通なら、滑って転んで大けがもあり得るお年のはずだが、身体のキレは場合によっては40代以下の人。いや、顔向けするかもしれない。そして、どの映像を見てもしゃんとした姿勢とどこか余裕のある笑顔が崩れることはない。ひとつひとつの質問にも受け答えはどれも的確に返答しているようす、さすが、超エリートスパイとしての片鱗というか、聡明さを感じさせられた人も多いだろう。それゆえに、スパイ養成学校だった陸軍中野学校にも興味が出てくる。
帝国陸軍のエリートが抜擢された特務部隊”陸軍中野学校”のDNAを継承した別班
ここでもとい、テレビドラマ”VIVANT”でモチーフになっている陸上自衛隊の特務部隊”別班”。
ドラマの中でも阿部寛氏が演じる公安の野崎が「ネットに載ってるぞ、どんな検索エンジンでも1ページ目だ」というから検索した人も多いだろう。しかし、フィクションドラマの中での話とは言え、本当にそんな組織があるのか?あったら面白い。いや、ありそうだ。

2013年11月27日、共同通信社は次の発表を行い、「文民統制を逸脱する」として31の新聞が翌日28日の1面で扱うビッグニュースになった。
陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(別班)が、冷戦時代から首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせす、独断でロシア、中国、韓国、東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことが27日、わかった。
陸上幕僚長経験者、防衛省情報本部長経験者ら複数の関係者が共同通信の取材に証言した。
自衛隊最高指揮官の首相や防衛相の指揮、監督を受けず、国会のチェックもなく、武力組織である自衛隊が海外で活動するのは、文民統制(シビリアンコントロール)を逸脱する。
衆院を通過した特定秘密保護法案が成立すれば、自衛隊の広範な情報が秘密指定され、国会や国民の監視がさらに困難になるのは必至だ。
陸幕長経験者の一人は別班の存在を認めた上で、海外での情報活動について「万が一の事態が発生した時、責任を問われないように(詳しく)聞かなかった」と説明。情報本部長経験者は「首相、防衛相は別班の存在さえ知らない」と述べた。
文民統制を逸脱する、つまり、自衛のためとはいえ首相ですら知らないところで破壊工作・暗殺までが許される秘密組織なんてあれば、そりゃぁ政府は公式に否定するだろう。しかし、飛鳥時代までさかのぼること日本の間諜の歴史、日露戦争で暗躍したスパイ、陸軍中野学校と系譜を辿ってきたが、それらのDNAを引き継いでいる間諜組織は今も形を変えて実在しても何もおかしくはない。いや、ない方がおかしい。
さて、次回では陸軍中野学校についても触れていきたい。
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