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【ネタバレ無し】ジブリ映画「君たちはどう生きるか」は、「君たちはどう感じるか」という宮崎駿監督の問いかけ

先日7月14日に公開されたジブリ映画、「君たちはどう生きるか」、ご覧になられたでしょうか?

本作公開に当たって、広告はなし、テレビ局との連携、企業などのスポンサーなど製作委員会方式を取らないなどと、かなり思い切ったスタンスを取った印象で、そのことですでに物議を醸し出していたわけですが、さらに公開されて評価も賛否両論となっているようですね。

が、そのことでますます作品が気にかかっているとしたらそれはジブリの戦略にうまく乗せられているのかも知れません。

あるいは、大々的な宣伝が無かったが故に「え?ジブリ新作やってるの?」という方もいるかもしれませんね。私はというと、公開直前で新作の存在を知った派です。

ちなみに手前の話になりますが、トトロや千と千尋が好きな小学生の子どもたちも、CMなどで見かけないだけに、「お父さん、ジブリの新作映画観に行くけどどうする?」と聞いてみると、「何それ?おいしいの?」という顔をしていました。

我が子の反応

記事を書くにあたってまずなのですが、鑑賞を終えて思うのが、もしこれから見に行こうと考えていらっしゃる方には、「君たちはどう感じるか」が作品に触れるときにとても重要だと思いますので、本作の内容については触れないでおきます。

それから、ネットなどのレビューなどはやはりネタバレがあるものは作品の意図を考えたら観ない方がいいのではないか、というのが個人的な印象です。

賛否が分かれている本作ですので、すでに鑑賞された方は語り尽くせないほどの感想がおありかと思いますが、このブログ記事では内容に触れる代わりに、本作を通じて宮崎駿氏が体現しようとした”クリエイターのスタンス”という部分について、私の雑感を述べさせていただこうと思います。拙文ご容赦ください。

 

まず、本作は現在御年82の歳宮崎駿監督が10年前に引退を撤回後、7年間の月日をかけて製作されたとあって、まず恐らく人生最後の作品という気概もあるでしょうし、本気度という尺度で語れるほどその本気さも薄っぺらいものではないでしょう。

私なんかはもともとジブリのファンでもなんでもない人間なのですが、宣伝無し、製作委員会方式をとらない、つまりテレビ局や企業等複数のスポンサーを募らないいわゆる単独出資の形態を取っていることを知り「なぜそのスタンスになったのか」に興味があって公開後すぐに観に行った派です。

鑑賞後も、そのスタンスの及ぶ範囲は本作の内容でも貫かれているようにも思えました。

「吉野源三郎の名作、君たちはどう生きるかがテーマって、どんな風に映画としてアレンジするのかな」とか、色々と想像が膨らみますし、そういう意味では、本作は映画を観に行く前から鑑賞が始まっていると言ってもいいかもしれませんね。

それは、同行した小学四年生、1年生の子どもたちの見終えた後の顔を見ても分かりました。

普通、つまらなければ鑑賞中子どもたちも寝たり、ごねたりすることがあってもおかしくないのですが、2時間以上にわたる作品にも関わらず、終始一貫してスクリーンを観ていたようです。

しかし、この子たちの顔を見るに、夏休みアニメ映画を観たときのような「面白かった〜!」というような晴れやかな感じでもありませんでした。

そのあと積極的に感想を述べてくるわけでもなく、淡々と映画館を出て帰路につきました。

もし、この映画の評価があるとしたら、子どもたちのリアクションが最も素直な感想だと思います。

私自身はというと、いつもは映画の途中でひとりトイレタイム(大抵、話の大きく展開する間つなぎのところで)を取るのですが、本作はそれもなく、最初から最後まで途切れることなく観てしまいました。

「面白かったのか?」とか聞かれると、うーん、そういう片付け方はできないかなという感じです。

夏休みに入るので、子供向けの映画にもなろうかと思っていましたが、これはいや、むしろ、子供向けではない大人な内容。

かといって、

これは大人が観ないと分からないものだから、子どもたちはご遠慮ください、とはいえない、いや、むしろ、子供だからこそ今のうちに観ておいてもらって作品を通じて、それぞれの感じ方を持ってもらいたい、という感じですね。

伝わりますかね、、、?

なんともワケの分からない感想でお見苦しいかもしれませんが、いわゆる面白かったor面白くなかったという評価を出せないが、他の作品は観なくてもいいからこれだけは観ておけ、そして何ならどう感じたかを家庭や職場、友達や仲間といえる人たちとシェアしてみるのがいいとは言えます。

ためになる?

この言い方がシックリくるかも知れません。

エンタメ or アート?

この感触は一体何なんだろう?というところなのですが、これは巷でよく言われていますが、宮崎駿監督が作家として純粋にやりたいことをぶち込んできた作品、というのも分かるところがあって、エンタメというよりはアートというと少し自分の中で位置づけが明確になるかも知れませんね。

世で大ヒットして商業的に大成功する作品のエンタメ要素とアート要素のバランスが、

▼エンタメ51(以上):アート49(以下)

とするならば、

本作は逆で

▼エンタメ49(以下):アート51(以上)

という感じですかね。

常識的に考えればですが、アートに寄せすぎると大衆には理解ができず、商業的にはコケるリスクも大きくなります。

内容も然り、情報非公開、完全自社出資というスタイルは、そのリスクを取る大胆なやり方だったと思います。

だからこそ、ジブリが、いや宮崎監督が自分の好きな表現を忠実に反映できるというメリットもあるのですが、それこそジブリほどのブランドがないとまず全国の映画館で上映されることもありませんが、誰も見向きもされないでしょう。

さらに、本作のストーリーの中では、暗喩などのレトリックが多くちりばめられていて、とにかく”つかみどころ”がないのです。

このつかみどころがないというのを「分からないから面白くない」とネガティブに捉える人は批判的になると思いますし、そこがいい、という人は肯定的になる、そんな感じですかね。

ちなみに、私はポジティブに捉えた方だし、異例の情報非公開のアプローチを取った時点でアートの方を期待していたので、ジブリがこう来てくれてよかったという感じです。

モヤモヤの正体があるとしたら

そういう意味では、映画館にエンタメ映画を見に行ったというよりも、美術館に芸術作品を観に行ったと言う方がいいかもしれません。

よく、

アートは問い、デザインは答え。

という考えがありますが、本作はアートの比重が高い、そう考えると面白いor面白くない、分かりやすいor分かりにくい、という二元的解釈で単純に割り切れなくなります。

しかし、それこそが宮崎駿監督のねらいであることは、「君たちはどう生きるか」を題材に選んでいる時点で、間違いないでしょう。

つまり、「君たちはどう生きるか」を使った宮崎監督の

「君たちはどう感じるか?」

という挑戦状ともいうべき問いであり、そのためにはアートに寄せて抽象的な”問いかけ”のようなものを表現していく必要があったし、また、それは映画公開に至るまでの諸々のスタンスで一貫性を保つ必要があったのだと思います。

その”問いかけ”を読むことを楽しみたいという方は、まるで禅問答のごとくアハ体験の連続になるかもしれない。

しかし、これを聞いて、なんだかまどろっこしいな、もっと分かりやすくて面白い、ザ・夏休みの子供アニメ映画を求めている方には、鑑賞後の私の子たちのような結果になることもあるかもしれません。

思考停止社会への”啓廸けいてき

ちなみに、大した鑑賞眼があるわけでもないのに口うるさい私はというと、予算があるからこそできる最先端の美しい映像、あるいは音楽を駆使し、人気の役者(あるいは声優)を配置して、さらに公開前に大々的な宣伝が行われる作品というのはもう飽きているひとりです。もちろん、その中にも名作はあるということを否定しているワケではありません。

そして、このことは、映画のジャンルだけではなく、ありとあらゆる商品と名のつくものに対しての意見です。

莫大な費用をかけて行われるテレビCM、ちょっとyoutubeを観ようものなら間に入る企業の広告、毎日洪水のように届く宣伝メールを観て、「宣伝しなきゃ売れないようなものなのか?」あるいは「大手メディアの洗脳」だと疑いたくなってしまいます。

アテンションエコノミーといわれますが、人々の注目や関心が経済価値を生むために第一義になっていて、やらせ、人に迷惑をかけるような行為、時に犯罪を侵してでも動画を配信するなどはもう今や常識になっているくらいです。

資本主義のなれの果てとも思えてきますが、ちょっと考えたら道理としてでもおかしいことでも平気で行う人も、またそれを鵜呑みに受け入れてしまうのが多いのも現状です。

そういう意味で、本作は、製作、公開に至るまでの経緯から、作品の内容にいたる一連において、これまで資本主義、自由主義経済において容認されてきた権力への欺瞞と、その欺瞞に対して思考停止に陥っている大衆へのアンチテーゼとも捉えました。

だからこそ、作品の中で製作者が「分かりやすい答え」みたいなのを用意してしまうと、確かに大衆ウケはいいものをつくれるかもしれませんが、同時に、鑑賞者に”考える余地””感受性を育む余地”がなくなるというリスクがあると思います。

だから、具体的な主張で説教臭くならないように、抽象的なアートとして表現する必要があった。

思考停止になっている私たち現代人に対する宮崎駿氏の啓廸とも言えるかもしれませんね。

だからこそ、少なくとも、感動ポルノと揶揄されるような製作者の意図見え見えの分かりやすい泣かせるポイントもなかったように思います。

かといって感動しなかったわけではなく、感動のポイントが別次元だと思っています。

じゃあ、それがどこにあるのか。

それは、作品の内容からPR一連について一貫性を保つためにリスクを取ったという気概、潔さ、だと思います。

そして、子どもたちには、それを父と一緒に行ったという思い出に残してほしいと思う。(子供と映画館に行ったのはこれが初めてです)

なので、

「永ちゃん、最高。」

に近い、

「よくぞやってくれたジブリさん。」

と、賛辞を送りたい。

ゲームチェンジャーになるかも

こういう言い方すると結局作品が面白くなかったと言うことだよね?と言われそうですが、いやいや、だから、面白かった面白くなかった、分かった分からなかったは思考停止に陥らないためにもひとまず保留しようよ。

ジブリがこのスタンスを取ったことで、これからはアニメ映画業界だけではなく、このスタンスを取り始める人や企業がさらに増えると思います。

表層的なところだけを真似てしまうと大コケしてしまうので、それこそ本質が問われるわけですが、その本質を問う中で、それが私たちが思考停止から覚醒していく過程があるのだと思います。

美術の授業ではありませんが、本作とジブリ以外も含めその他の作品の違い、なんかを議論する場を持つだけでも意義はあるかと思いますね。

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