今回はその第1回なのですが、1週間後、2023年5月12日、Nintendo Switch”ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム(以下略TotK)”の発売に先駆けて、その前作の”ブレス オブ ザ ワイルド(以下略BBotW)“を題材に考えてみたいと思います。
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謎かけ ゼルダの伝説・ブレスオブザワイルドとかけまして
○とかけて●と説く、その心は◎?
謎かけで昔から日本で親しまれてきた構文ですが、これを用いて現代の優れた製品やサービスの根幹を支えている共通項というか、そういうものを浮かび上がらせることで、私たちは自分たちのビジネスにおいても新たなコンセプトを創り、ひいては人生においても活路を見出すヒントが見えてくるかもしれません。
さて、BtoWといえばNintendo Switchの発売と共に2017年の3月に発売され、6年経った今も色褪せず、神ゲーとしてもう誰もが認めるところとなってしまったまさに伝説となったゲームですね。
開発当初から開発者皆に共通のスローガンになったといわれる「ゼルダのアタリマエを見直す」ですが、いわゆるイノベーティブな試みは、ゲームの開発者という範囲に限定せず、私たちの仕事や人生も「アタリマエを見直す」ことに役立てられるエッセンスが凝縮されているように思えます。
ちなみに、私は昨年のクリスマスでサンタさんが子どもたちにNintendo Switchのプレゼントをしてくれたのがきっかけで、神作品と名高い本作だけやってみようかなと思って勉強のつもりで始めたつもりが、気がついたらゲームプレイ時間が200時間を超えていました。。。そして、BGMのCDも公式設定資料集も全部買いました。。。
今では“娯楽としてのゲーム”というよりも”教養としてのアート”という位置づけで、新たなコンセプトやアイデアに飢えているビジネスパーソンほど嗜むべき作品なのではないか?とさえ思っており、周囲に勧めているくらい。
そして、感動もまだ冷めやまぬうちに待ちわびることもなく続けて新作・ティアーズオブザキングダムができる私はラッキーかもな、と思っていますが、さてさて、そもそもこのBotWは何が別格だったのか?
このあたりを自分なりに考察していきたいと思います。
ちなみに、前述の通りゲーマーでもなければ、評論家でもありませんし、技術者でもない単なる1ユーザーの拙いながらの感想として、お読みいただけましたら幸いです。
ヒットの要因と解く〜ChatGPTにBotWの面白さに聞いてみた〜
検索すると、「なぜ、BotWはここまで世界的に絶賛される作品になったのか?」という考察はたくさん出てきます。
ざっとChatGPTにも質問してみたところ、こんな感じの回答でした。
- オープンワールドの自由度の高さ
『ブレス オブ ザ ワイルド』は、広大なオープンワールドの中で自由に行動できることができます。プレイヤーは自由に移動し、冒険を進めることができます。このような自由度の高さは、プレイヤーが自分のペースでゲームを進められることや、自分で物語を作り上げることができることなどを可能にしています。
- 美しいグラフィックと音楽
『ブレス オブ ザ ワイルド』は、美しいグラフィックと壮大な音楽が特徴的です。広大な世界が美しく描かれ、音楽も物語やシーンに合わせて流れることで、プレイヤーを世界に没入させます。
- 自由なアプローチ方法
『ブレス オブ ザ ワイルド』は、冒険に必要なアイテムや情報が隠されたり、様々な方法で取得することができます。プレイヤーは自由にアプローチ方法を選び、冒険を進めることができるため、プレイヤーのセンスやアイデア次第でゲーム進行が変わるという楽しみがあります。
- アイテムや能力の多様性
『ブレス オブ ザ ワイルド』には、様々なアイテムや能力が存在します。例えば、様々な武器や防具、クライミングや滑空などの能力などがあり、プレイヤーはそれらを駆使して冒険を進めることができます。また、食材を調理することで、プレイヤーのステータスを上げたり、特殊な効果を得ることもできます。
と出てきました。
自由度、多様性、美しいグラフィック、音楽、、、、
いずれも、納得の答えばかりですがここはAIのあくまで無機質な回答。
AIの答えは、いわばゲームの基本機能などについての項目の羅列であり、私たちユーザーの情緒に何がどう影響を与えたのか?みたいなところは、深層部にしっかりとした文化的背景もあるはずで、そのあたりはもっと触れてみてもいいと思います。
ゲーム開発者のコンセプトってどうだったの?
そこで、色々と調べてYouTubeなどでNintendo公式のBtoW開発秘話なども見ていくうちに、点と点がつながってきました。
ゼルダの伝説といえば、初期のファミコン時代から印象だと西洋風(とんがり帽子と鼻の高い、とんがった耳の特徴的なリンクとかゼルダは妖精というイメージだし)でした。
しかし、私が初代ゼルダら時を経ることおおよそ30年の月日を経て、BotWに関していえば、随分と印象が変わっていました。
このあたり、開発にあたってのインタビューの中でアートディレクターの滝澤智氏の実際のお話がありましたので引用させていただきます。
アートスタイルも含めて全般に、そもそも和でいきたいという思いもあったんです。自分たちが体で理解している日本の風土や文化に根ざしたものを中心に据えたほうが、得意な方向で絵づくりができるのじゃないか? そのほうが日本はもちろん、海外のみなさんにも喜んでもらえるんじゃないか? という仮説をたてて、今回は統一して和の雰囲気でデザインをしていこうという話になりました。
ファミコンなど、家庭用ゲーム機の黎明期、Nintendoの躍進を目の当たりで見てきた世代の私の中では、Nintendoは世界ナンバーワンゲーム会社という印象だったのですが、私が社会人になってゲームから遠ざかっていたこれまでの20年あまりの間でゲーム市場を巡っても、随分と変化してきたようです。
世界の市場では、私は使ったことがもちろんないので肌感はないのですが、PS3やXboxなどの競合が席巻するようになり、覇権の構図が変わっていたのです。
そのことに関して興味のある記事が出てきました。
世界市場の中で日本のゲームの肩身がドンドン狭くなっていく中で、欧米の真似だけで作品が評価されないということに気づき、和の世界観と要素を織り込んでいった、ということでしょうか。
確かに、プログラムなどのゲームの基本機能の中に、このアートコンセプトである「和」のテイストがさりげなく、そして随所にちりばめられているので私たち日本人にとっては親しみを覚え、海外の方々には新鮮に映って、それがコアとなる価値として評価の大きなポイントになったのではないか。
いわゆる”画竜点睛を欠く”という言葉があるように、その”点睛”の部分になっているのかもしれません。
ゲーム全体の世界観は確かにそのハイラル城が象徴するような西洋風なところがあるけれども、随所に和風のデザイン、ゲームの最初期に訪れるであろうカカリコ村とか、これも最初期から出てきて何度も逃げ回った強敵ガーディアンや物語で重要な役割を果たす神獣などのデザインのモチーフは私たち日本人ならば古代の縄文文化にあるということもピンと来るものです。
さらに、ゲームを進めていく内にデザイン面だけではなく、キャラ設定やストーリーについてもしっかり日本的なものをオマージュしていることが分かってきます。
1万年前の古代よりハイラルの王家を陰で支えてきた種族・シーカー族との関係性、それからハイラル王家に恨みを持ったシーカー族一派である忍者のような風体の武闘集団なんて名前が”イーガ団”なんてモロ日本のオマージュと思えるところが多々あります。
歴史が好きな人ならば、日本という国体の夜明け、縄文、弥生の時代から飛鳥・奈良時代にまでさかのぼることになりますが、日本土着の古代文明は、仏教を始め大陸からの文明の影響を受けどんどん変化していきます。今で言うグローバル化ですね。
開明的な蘇我氏(崇仏派)が保守的な物部氏(排仏派)を滅ぼし、その後、聖徳太子が鎮護国家を目的に仏教を日本の政治に公式に取り入れ、今の時代にもつながる憲法十七条、冠位十二階などの制度が確立されていき、日本は”日出ずる国”というグローバル国家の体を為していくこのあたりの時代に思いを馳せていくと、BotWの世界観と”リンク”するところが多々あるように思えます。(話が長くなりすぎるのでこのあたりにしておきますが)
意表を突かれた主張控えめなBGMの主張
それから、ゲーム内の音楽も意表を突かれましたよね。
実は、音というのは作品のリズムを司っていますし、他のグラフィックデザインやキャラ設定、ストーリー設定などには代替できない領域を担う超重要な部分でもありますが、以下、BotWのオリジナルサウンドトラックのブックから制作者の岩井淑氏、片岡真央氏のやりとりから気になる話を見かけました。
岩井氏…「オープンエア」とも呼ばれていたの世界観を表現するのに、常にプレイヤーの気持ちを鼓舞したりするものは合わないなと思ったんですね。やはり曲はコンポーザーが「こう遊んでほしい」という意図や想いを込めてしまうものなので、主張が強いサウンドになると、ゲームプレイにも影響を与えてしまう。
片岡氏…岩井氏の「感情を誘導する力を持つBGMが常時流れているのは合わない」という考え方には共感していました。
確かに、フィールドなんて足音、水、風、火、動物の声、小鳥のさえずり、雨の音、などの環境音・効果音だけがBGMで成り立っていて、最初、これってゲームの流れる音楽じゃないよね?と思えるほど。中には音がないシーンもあるくらいです。
私的には馬に乗りながら颯爽とフィールドを駆け抜ける襲歩の音楽が上品で控えめでありながらリズミカルのピアノの音楽だったりするのですが、聴いているだけで自分がまさに風を切って走っている心地いい感があります。
ドラクエやFFで育った私なんかはここはもっと勇ましい、いわゆるもっとジャーン!とした感じの音楽が流れていそうなシーンが、BtoWは少し違う。いや大分違う。いや、根本の発想が違う。それがまたゲーム全体で調和していて、絶妙のバランスなのがよかった。
ラスボスであるガノンとの戦闘なんかは、それまでの記憶を失ったリンクの旅、100年間リンクを待ち続けるゼルダの想い、ラストバトルに相応しい混沌として緊迫した状況下という相容れないものを集約する音楽の力に鳥肌が立ちましたね。
発想の根底にある思想を考えると世阿弥に行き着いた
次々に私のゲームという作品のアタリマエがぶっ壊れていく中で、この作品の発想って何を起点としているのか?というと、やはり色々と考えていくと、やはり、古来からある日本の美意識というところに落ち着いてしまいました。
作品の中に、引き算の美、間の美というか、そういうものが首尾一貫して表現されている気がするからです。多分それが、日本人にとっては懐かしい、親しみやすい、やっぱりそうだよな?と思わされる妙な納得感と、ZENなどのような文化に象徴されるように海外の人たちが日本に憧れる部分でないかと思います。
そこで、ひとつに能の大成者である世阿弥の思想が思い浮かびました。
“せぬ暇が面白き“
世阿弥 花鏡
です。
これは、オタク評論家として知られ、クリエイターからビジネスパーソンに至るまで高く評価されているYouTuberでもある岡田斗司夫さんもこのゲームは「なんでもないところが面白い」とおっしゃっていますが、まさに、単にグラフィックが日本的、というだけではなく、見えないところでは、日本の思想がその設計思想の中に貫かれているという文化度の高さにユーザーの多くが魅了されているのかもしれません。
ゲームの自由度の高さの裏にあるであろう開発者の信念とは
BtoWの面白さをひと言で言うと、自由度が高いところと皆さんが口を揃えておっしゃっていますね。
この自由度が高いは言い換えると押しつけがましくない、ということでもあり、生まれてこの方、それが押しつけがましいことだとしても普通だと思い、そのことを疑問にすら思わなかった私たちには、こんな発想で仕事のアプローチを取れる人が世の中にいるんだということが分かったときにある種のカルチャーショックを受けるかもしれません。
つまり、自由度の高さとしてそのゲーム中のさまざまな状況判断や解釈、意志決定のすべてをユーザーに委ねられるようにした開発者の意図の根底には、ユーザーを思考停止にして退屈にさせないというだけではなく、その先には“バカにしていない”というある種の私たちへの敬意を感じることもできるかもしれません。
もし、忙しい社会人、あるいはクリエイターや起業家、経営者といった方がゲームというある種の人生において何も生み出さないであろう享楽のために本作をやる動機があるとしたら、その信念をゲームの中で体験してみるということかもしれませんね。
私たちは仕事をしていく中で筋書き、ストーリー、ビジョンが問われることがあると思います。
お客様の体験価値もそうですし、従業員の働く環境も然り、これらは、経営企画に携わる方のいわゆるシナリオ設計が土台にあって創られるものです。
そこにBtoWの自由度の発想を取り入れたり、そしてその奥底にある日本の設計思想を学ぶということは経営においてもとても重要な意味を持つと思います。
最後、ちょっと小難しい話になりそうでしたが、BtoWに関しては子供から大人まで楽しめる世界的ヒット作になったことはもちろんのこと、私個人においても人生に、仕事にと大切なことを学ばせてもらったといっても過言ではないほど新鮮な体験をもたらしてくれるものになりましたから、新作のティアーズオブザキングダムは発売日の12日の夜中に即ダウンロードしてやるようにスケジュールを調整しています(笑)
まとめ(その心は?)
ということで、拙いながら名作BotWを新作前に振り返ってみました。Nintendoの公式YouTubeでも前作BotWのおさらい動画もありました。ネタバレを含みますのでまだBotWをやったことがない方は見ない方がいいとも思えますが、とにかく前作を今からやる時間はつくりたくないが、ティアーズオブザキングダムからやりたいという方もいるでしょうから、ダイジェストで作品を振り返るという意味ではいいのではないでしょうか。
なんといっても、ゲームのラスト、魔獣ガノンを討伐し、ゼルダ姫を救出した際に、ゼルダがリンクに向けて放ったセリフ。。。
これはやっぱり、BotWやってみてください。。。
このセリフは、リンクに向けて言ったと言うよりも、30年間Nintendoのゲームから離れていた私に対して、そして古き良き日本人の記憶に対して言っているように聞こえてきて、ゲームをクリアしたときにはおよそクリアまで70時間くらいは費やした苦労と、それから人生のさまざまな想いが交錯してほろっと涙が出てきました。(大人をここまで泣かせるとは。。。)
ゲームを終えた後の私のひと言はというと、いい意味で言葉を失ってしまったというのが本当のところなのですが、あえていうなら
「(このゲームつくった人みんな)めちゃくちゃセンスええなぁ・・・(これはAIが代替できない仕事だな)」
というプロフェッショナルな開発チームに対する賛辞の言葉ですかね。
単にゲームを何も考えずに楽しんだというよりは、芸術作品を鑑賞ではなく体験を通じて楽しませてもらったし、これは人生でこれまで体験したことのなかった”アタリマエを見直す機会になりうる”斬新なものでした。
創造的な仕事に携わっている方、いやAIの台頭で人の仕事のほとんどがそうなると思いますが、是非、この作品のクリエイティブな部分に目を向けていただくと、本作についてはきっとそれはゲームで遊ぶ以上の何かが得られるのではないかと思います。
さあ、なかなかの長文になってしまった感がありますが、まだまだ書き足りていないこともありますが、このあたりで今日の記事は終わりにしたいと思います。おかげで書いている内に自分の中でも少しまとまってきました。
”ゼルダの伝説・ブレスオブザワイルド”とかけて、人々の心を捉え”世界的なヒット作になった成功要因”と解く。
その心は、”古来から日本にある美意識”
これだけの神作品になった前作ですからハードルはもちろんめちゃくちゃ高いわけですが、とにかく新作のティアーズオブザキングダム、楽しみです。
お後がよろしいようで。
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